までい工房美彩恋人 渡邊とみ子さん

3人目はまでい工房美彩恋人 渡邊とみ子さんです。


雪っ娘かぼちゃ、全国へ
私が農業に関わり始めたのは平成の大合併の頃、自立の道を歩むことを決めた飯舘村に新しくできたイイタテベイク研究会に参加し始めたときです。元々服飾の仕事をしていましたが、その後は工房を大工である夫と作り、雪っ娘かぼちゃの加工に力を入れ始めました。2011年福島第一原子力発電所事故後、飯舘村は全村避難となりましたが、避難先の福島市で土地を借り、元々は畑ではなかったごろごろした土地を何とか耕し種繋ぎを頑張りました。そんな中福島市で作った雪っ娘かぼちゃの加工商品を出荷することになり、国の放射能濃度の基準は500bq/kgであるのに対し、自分の商品に対しては20bq/kgと決めました。出荷前には検体破壊検査を行い、一回でマドレーヌ6000円が無駄になってしまい、辛く感じることもありました。しかし雪っ娘かぼちゃを食べて、ファンとなってくれる人々がたくさんいて、雪っ娘かぼちゃの生産は全国へと広がっていきました。今では毎年全国の生産者の方々と交流品評会を行っています。

念願の民宿
民宿については震災前から計画はしていました。民宿は畑、加工、料理、語り部と自分の強みを凝縮できる素晴らしいものだと考えています。計画時と現在の民宿の違いは、まず一番の理解者である夫が亡くなったことです。それにより精神的にしんどいこともありました。しかし長年の夢であった民宿はできています。民宿の計画を考え始めた40代の頃は同じ年代の人や家族連れをターゲットにしようと考えていましたが、すべての年代の人に来ていただきたいと思っています。加えて学生や郷土料理が好きな人に来ていただいて、自分の料理を楽しんでもらい栄養をつけて帰ってほしいと考えています。飯舘村を訪れた人には是非雪っ娘かぼちゃやまでい館で販売されている野菜を食べてほしい、美しい星空を楽しんでほしいと思うのと同時に、村のあちこちに除染後のフレコンバック撤去後の未だ再生されていない農地があるという現実も見ていってほしいです。経済面では民宿を始めるにあたって、リフォーム代、光熱費、HP作成費など中には計算外の出費もあり大変ではありましたが、今後もこの宿を維持していきたいので頑張りたいです。

最後に
原発事故からの復興は何十年とかかりますが、自分は生きていかなくてはいけません。ずっと何かに取り組んでいることは本当に楽しいので、生涯現役でいたいですね。



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