ゼロから土を拓いた、
福島・大熊町「キウイ復活」の物語
「福島県大熊町」と聞いて、
フルーツを真っ先に思い浮かべる人は多くないかもしれません。
しかし大熊町は、東日本大震災が起きる前、
福島県内で最大のキウイフルーツの産地でした。
原発事故によってすべての木と農地が失われ、
一度は完全に途絶えてしまったその歴史。
いま、先人たちのバトンを受け継いだ次世代の手によって、
再び町にキウイの産地としての息吹が宿り始めています。
議会の大論争から始まった「1億円の夢」
大熊町とキウイの歩みは、1982年(昭和57年)にさかのぼります。当時、国の減反政策によって米の生産調整が迫られる中、町議会副議長であった井上文男氏らが中心となり、米に代わる新たな特産品としてキウイフルーツの導入を模索しました。
当時の大熊町議会の議事録には、導入を巡る生々しい論戦が刻まれています。
「キウイフルーツなんて、ほとんどの人が名前も知らない」
「スーパーや八百屋を回って聞いてみたが、買う人がいない作物をなぜ町が支援するのか」
まだ見ぬ果物への多額の予算措置に対し、議会からは慎重論が相次ぎました。その空気を切り裂いたのが、当時の遠藤正町長の答弁でした。
「「パイオニア的仕事をするには、ある程度の危険は伴います(中略)余り石橋を叩いて渡らないでは何もできない」
「キウイフルーツは相当浸透していると思います。私も何回も食べております。私は好きです。うまい。」
実は大熊町は、江戸時代末期から続く東北屈指の梨の名産地でした。梨栽培で培われた棚づくりの技術をそのまま応用できたこと、さらにキウイは年間の作業時間が梨の3分の1以下と極めて省力的で、病害虫に強く農薬コストも抑えられるため、兼業に適しているという合理的な勝算がありました。
町長の決断と先人たちの熱意によって栽培は広がり、2004年には町全体で年間166トンの出荷を記録。町内には「フルーツの香るロマンの里」の看板が掲げられ、町内のキウイ農家は約30軒にまで増加しました。2011年秋には「作付面積10ヘクタール・売上高1億円」という大台の達成を目前にしていました。キウイは間違いなく、大熊町の確かな産業であり、誇りだったのです。
震災による断絶 —— 根こそぎ失われた畑と土
しかし2011年3月11日、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が発生します。全町避難を余儀なくされ、大熊町は8年間ものあいだ人口ゼロの町となりました。
放射性物質を取り除くための除染作業により、町内にあった豊かなキウイの木々はすべて伐採され、根から引き抜かれました。農家の方々が何十年もかけて堆肥を入れ、育て上げてきた豊かな黒土は10cm以上も剥ぎ取られ、代わりに無機質な山砂が敷き詰められました。
約30軒あったキウイ農家は、一瞬にして0軒になりました。手塩にかけて育てた木も、土も、先人たちの歩みも、すべて更地へと姿を変えてしまったのです。
「再生クラブ」から広がる輪、そしてReFruitsの挑戦
「大熊のかつてのキウイを、もう一度復活させたい」
避難指示が一部解除された後、町の有志が集まって2019年に立ち上げたのが「おおくまキウイ再生クラブ」でした。更地に再び棚を組み、苗木を植える気の遠くなるような活動が始まりました。
この取り組みを起点として、いま大熊町では「もう一度キウイを育てよう」という生産者や事業者が少しずつ現れ、産地としての新たな胎動が始まっています。
その先駆けとして、震災後の大熊町で初めて本格的な果樹生産事業に乗り出したのが、若者たちが創業した「株式会社ReFruits」です。大学時代に大熊町を訪れ、再生クラブの活動に参加していた原口拓也さんと阿部翔太郎さんは、町の歴史と人々の温かさに胸を打たれ、「腰を据えて産業としてキウイを再生させたい」と決意。2023年に起業して大規模農園「キウイの国」を開園し、現在は1,500本以上の果樹を管理しています。
開墾の道のりは平坦ではありませんでした。除染工事の重機によって土壌が強く踏み固められ、水が地面に染み込まないという課題に直面したのです。
彼らは地面を掘削して地層を分析し、硬い粘土層に水の通り道となる垂直の溝を掘り進めました。さらにライ麦やヘアリーベッチといった植物の根の力を借り、自然の雑草とともに緑肥とすることで、土壌の微生物層を一から蘇らせていきました。本場ニュージーランド式の「ストリンギング栽培」やドローンによるデータ管理など、次世代の農業技術も積極的に導入されています。
そして2026年秋。
更地だったReFruitsの自社農園で、ついに記念すべき「最初の収穫」を迎えました。40年以上前に始まった大熊町のキウイのバトンが、若者たちの手によって再び未来へとつながった瞬間です。
Column:果物としてのキウイの魅力と奥深さ
年中スーパーに並んでいるイメージのあるキウイフルーツですが、実は非常に奥深いフルーツです。
- 圧倒的なチャンスを持つ果樹
他の果樹の消費量が横ばいな中、キウイは国内消費量が増加して市場が成長しています。また、本場ニュージーランドとは季節が真逆であり、国内生産量も少なく競合しないので、チャンスの大きな作物といえます。 - 追熟で引き出される美味しさ
収穫時のキウイは甘みのないデンプンの塊で、鳥や虫にも食べられません。収穫後に一定温度でエチレンガスなどを活用し「追熟」させることで、酸味と甘みが溶け合うジューシーな果実へと仕上がります。 - 圧倒的な栄養価
ビタミンCはレモンやミカンを大きく上回り、食物繊維やタンパク質分解酵素も豊富に含まれるスーパーフルーツです。
現在ReFruitsでは、緑・黄・赤など10種類を超える品種を栽培し、この土地に最も適したキウイの可能性が日々検証されています。
町中に誇られ、日本中から求められる産地へ
大熊町の方々は今も、「昔の大熊のキウイは本当に美味しかったんだ」と笑顔で誇らしげに語ります。
ReFruitsが目指しているのは、単に昔の状態に復旧することではありません。キウイをはじめとする果樹をよみがえらせ、大熊のフルーツが日本全国から求められるようになり、100年先も町が胸を張って誇れるフルーツをつくることを目指しています。またこの挑戦は大熊町だけでは完結しません。これからの時代の深刻な環境変化などにも耐えうる持続可能な果樹生産モデルを、大熊から各地に広げて行きたいと考えています。ぜひ今後も大熊のキウイの成り行きにご注目ください!
シカクイキウイの誕生
この挑戦の過程から生まれたのが、台湾のパイナップルケーキに着想を得た大熊町のおみやげ菓子「シカクイキウイ」です。香ばしいクッキー生地の中に、大熊町で丹精込めて育てられたキウイの甘酸っぱい餡をぎっしり詰め込んでいます。
シカクイキウイ
今回手にとっていただく商品には、一度失われた大地から立ち上がり、未来へと歩みを進める大熊町の物語が詰まっています。
ぜひ、その奥深いストーリーとともに味わっていただければ幸いです。